花壇が肥沃でいられるのは、去年の花を落とさせたから。まだ愛しているもののうち、堆肥にする誘いを受けているのはどれだろう?
気づきうること
この対は、ケアの季節——子ども、プロジェクト、関係、創作の実践に対する——のなかで、内側のどこかが「ケアの形を変える必要がある」と知っているときに現れることがある。女帝は気づかぬうちに握りすぎてしまうことがあり、死神はその握りをゆるめても愛を減らさない。二枚は身体への注意をしばしば誘う——疲労、月経や生殖の周期、水をやりすぎた場所、そもそも蒔かれなかった場所。豊穣の対であって、恐ろしい対ではない——ただし、それが求める作業は実在する。
座って向きあう問い
- 私は何を、その季節を過ぎてもなお世話してきただろう?
- 私のケアは実際にどこを養い、どこを圧迫しているか?
- 来年の成長のための土に変わりうるのは何か?
- 私のなかで再び母性に抱かれる必要があるものと、手放すべきものは何か?
この対が浮上しやすいとき
年末の振り返り、出産後やプロジェクト終了後のやわらかい時期、長期にわたるケアの弧の終わり、創作がほんとうの結末を見つけた瞬間などによく浮上する。妊孕性、家族役割、変容した養いの役割への悲嘆を伴うこともある。緩やかな書きものの誘いとして扱い、締切に翻訳しないでおこう。
つづける
· それぞれの札を別々に読む ·
· 姉妹的な実践 ·

