ある結果はあなたが作ったものだ。別の結果はあなたが耐え抜いたものだ。どちらがどちらかと名づけることそれ自体が、ひとつの静かな実践だ。
気づきうること
この対が浮上するとき、すべてをどちらか一方の札に帰そうとする誘惑に気づくかもしれない。輪なしの正義は、自分が作ったわけではない運命に対する自責へと凝固しうる。正義なしの輪は、自分が十分に再交渉できる合意に対する無力感へと凝固しうる。二枚は、自分が責任を負うべきもの、優美に乗っていくべきもの、そして自分が編んだのではない状況のなかで自分の完全性が求められている場所を、丁寧に分類するよう誘う傾向がある。
座って向きあう問い
- この結果のうち、どの部分を私が作り、どの部分を私はくぐり抜けているのか?
- 輪のひと回りを、どこで自分の責にしてしまっただろう?
- 実は選択だったものを、どこで運命と呼んでしまっただろう?
- 私が編んだのではない状況のなかで、どんな完全性が私の務めだろう?
この対が浮上しやすいとき
完全には自ら選んだとは言えないキャリアの激動、病、親の死、突然の経済的変動、因果が入り混じった別れ、そして「これは誰のせいか」という問いがもう役に立たなくなったあらゆる瞬間のまわりで浮上しやすい。判決ではなく、分類の道具として扱おう。
つづける
· それぞれの札を別々に読む ·
· 姉妹的な実践 ·

